10. 3月 2015 · キリスト教研究の可能性を探る 多様な聖書的伝統を求めて はコメントを受け付けていません。 · Categories: 未分類

キリスト教研究の可能性探る 日本基督教学会が関学で学術大会 2014年9月9-10日
2014年10月18日@キリスト新聞 掲載記事
※以下の記事引用はキリスト新聞社と関係者各位の著作物です。コピー、改変はお断わり致します。

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「キリスト教研究の可能性」と題する日本基督教学会第62回学術大会が9月9~10日、関西学院大学(兵庫県西宮市)で開催された。全国各地より研究者ら約180人が集い、研究発表と年次総会を行った。
水垣渉氏(京都大学名誉教授)は「聖書的伝統としてのキリスト教」と題し、キリスト教とは何か、という問いをめぐるキリスト教学の学問的地平について、出発点としての多様性、多様性から全体性へ、聖書的伝統という三点から、人類にとって最も巨大な伝統である聖書的伝統を開くキリスト教研究の可能性について講演した。
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パネルディスカッションでは、氣多雅子氏(京都大学文学研究科教授)が反宗教・非宗教の観点から宗教哲学の足場を確認することで、キリスト教研究の固有性を浮き彫りにした。深井智朗氏(金城学院大学教授)は経済市場というメタファを用いて、総合的「キリスト教の文化科学」としての神学の刷新を提言した。柳澤田実氏(関西学院大学神学部准教授)は生態心理学の観点から福音書のイエスの行動を解釈し、キリスト教信仰の持つ身体性への注意を促した。
パネリストそれぞれが、宗教哲学、神学、生態心理学の観点から主題について発表し、現代においてキリスト教を問い、学的研鑽を積むことの積極的意義について語った。会場からも活発な質疑応答がなされた。

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研究発表は聖書学から歴史神学、実践神学に至るまで幅広くなされた。渡部和隆氏(京都大学文学研究科・博士課程)の「塚本虎児のヘブライ書解釈」と題した発表では、内村鑑三との連続性と塚本自身のキリスト教理解という二つの観点から分析がなされ、日本キリスト教史が一つ明るみに出された。
会期中、関西学院大学の図書館が、所蔵する死海写本断片、エラスムス校注の新約聖書初版、グーテンベルク42行聖書など26点を特別展示し、多くの参加者が貴重な資料に触れる機会を得た。また学生たちによるスムーズな会場運営は、創立125周年を迎えた関西学院大学の「奉仕のための練達」の精神を発揮し、美しいキャンパスと共に学会に華を添えた。

以下、水垣渉氏の講演要約『聖書的伝統としてのキリスト教 ~キリスト教とは何かという問いをめぐって~』
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09. 10月 2014 · 情報通信技術と宣教 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 未分類

キリスト者医科連盟 第66回大会分科会 要旨

本分科会は「情報通信技術と宣教」を考えるために「宗教とメディア」に関する概論的知識を提示することである。マタイ福音書の大宣教命令と使徒行伝18章「恐れるな、語り続けよ、黙っているな……この町には、わたしの民が大勢いるから」という聖句を軸に、日本宣教の現状、歴史、理論、実践について概略する。

なお参考図書については節末にリンクを参照。各自、一読されたい。

現状

1. 信者人口と施設数のアンバランスさの理由

現在、日本のキリスト教人口は総人口に対して0.8%未満であるが、キリスト教系医療・福祉・教育施設は驚異的な多さである。これらの施設は、明治以来、海外の資金注入によって成立し、高度経済成長からバブルにいたる日本の経済的余裕によって維持されてきた。

2. 「教会観」の世代格差

バブル崩壊以後、ほぼ平成期と重なる「失われた20年」といわれる時代の世界観として、現在26歳の若者は言う。「小学校のときに阪神大震災、オウムの地下鉄サリン、酒鬼薔薇聖斗事件があった。中学では9.11テロがあり、高校では自爆テロの話ばかり聞いた。大学に入ったらリーマン・ショックで世界恐慌だと言われ、やっと就職したら、今度は東日本大震災。世界って良くなっていくものではなくて、基本的に壊れていくものなんだなぁと、皆思っていますよ、僕らの世代では。」

3. 人口減少社会

2008年以降、日本人口は減少の一途である。キリスト教人口も約1%で100万人と言われていたが、2009年以来、減少し続け、人口は三大都市圏に偏っている。現在、キリスト教系諸宗教(エホバ・モルモン等含む)人口、約180万人中、東京都に80万人が集中している。

東京の一極集中という国家構造は、800を超える「消滅可能性都市(出産可能な女性の人口が現在の半分以下になる自治体)」を生み出し、限界集落が限界を越えて集落跡になる日も近い。「2100年には日本人口6,000万人」という学者もいる。高齢者の献金で維持されてきた教会財源とインフラも、30年すれば支える人どころか使用者がいなくなるかもしれない。社会全体でマイナス要因を等配分していく未来が待っている。

以上のような状況にあって、教会に人が来てもらうことが可能なのか、という問いが「ICTと宣教」を考える第一の前提となる。第二前提として以下に歴史を考える。

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